クロスフェードを聴いた時からずっと
今回は僕が最近ずっと聴いているDUSTCELLさんのbibourokuについて書いていきます。
いわゆる歌詞の考察なのですが、歌ネットさんから歌詞を引用させていただこうと思います。
作詞はEMAさん
音楽ナタリーにて、EMAさんが普段から書いている日記に記すようにして作詞されたという。
読み返すと書いた時の気持ちを完全に思い出せないけれど、シーンで記憶が蘇ってくることがあるそうです。
それでは早速歌詞を考察していきます。
考察
1番Aメロ
空っぽのまま時だけが経った
遠い昔の僕は薄れて溺れた
こちらはインタビュー中でおっしゃっていた「書いた時の感情の僕」であると思います。
昔の記憶にいるもう一人の自分は、時が経つにつれてどんどん薄れて、深い記憶の海底に沈んでいくようですよね。
空っぽのまま ここにただ堕ちて
世間体も噂も全部 耳から遠のいた
海底に沈んでいれば、雑音(世間体)も何もない。
全てを掻き消したいといった精神状態が伺えます。
あの日から綴る手は止まって
未来への期待は宇宙に飛んだよ
それでもまだ僕は立ってて
明日を生きる予定を組み立てて
いつからか日記を書くのをやめてしまっていたが、それでもまだ明日への希望を捨てない、という強い意思を保たれている方なのかなと思いました。
もうなんだかんだで呼吸の仕方が
板について取れない錆のようで
夕暮れに香る他人の幸福を
受け入れられない愚か者みたいだ
僕はこの歌詞を読んで、夕暮れの団地をイメージしました。
団地近くの公園には、たくさんの子供やそのご両親が居て遊んでいます。
呼吸の仕方がわからなくなるほど息苦しい状態のときにそのような光景を見た人は、それをなかなか受け入れられず、自分を愚か者だと思うでしょう。
『今日はゴミ袋を買いに行こう』
『公園の子供を想像で殺してみた』
このような日記を記してしまうほどの精神状態だったのでしょうか。
痛いけど気持ちいいくらいに
死んだとき僕の存在が広がる
この世界は糞で とても薄情で
ちっとも優しい言葉ばかりじゃない
自分が死んだとき、その瞬間は周りの人たちは驚くでしょうし、その話題でいっぱいでしょう。
「実は人一人がいなくなっても、この世界は何も変わらず、どんどん回っていく」といったような世界の薄情さを語っているのかなと思います。